すでにがんばってる私には「自分らしく」って意味不明

家族の幸せをつかむリビングのつくり方
リビングディレクター/ライフオーガナイザーの石橋美樹です。

前回の記事では夫を褒められる人と褒められない人は

何がちがうのか?について考えてみました。


さてですね。今回のタイトル。

これもまた今日書きたくなったので書きますね。



「最近よく『ありのままの自分を好きになる』とか

『私らしく生きる』とかっていうけどさ、

そうやってできて輝いている人ってごく少数じゃないかね。

今は日々のことを下手したら限界以上やってるし

これ以上どう頑張って輝けっていうのさ。

ふんっ!(何かにイラッ)

そして、シーン(心が動かない)。」



これは数年前私が実際に思ってたことです。

サロンを始めてしばらく経ったときだから

7~8年前くらいになるでしょうか。

子供もできて、シゴトもフルスロットルでやり

家事はそこそこ(そこはぶれないのね)みたいな生活を送ってた

自他共に認める「頑張り屋」の私は

その頃で始めたこの言葉にある意味拒否反応がありました。

「自分のために」じゃなくて「相手のために」

やることがまずであって、結果自分に返ってきてるし!

みたいな、あってるっちゃーあってるんだけど

その配分が相手のため:自分のため=9:1みたいな感じですね。


でも、スウェーデンの考え方と向き合ったり

サロン運営をしてお客様の健康のサポートをする中で

この「私らしく」について考えたとき

だいーぶ私の解釈が間違っていたと

気づきました。

2年くらいかかりましたね。

まずですね、何が違ってたかっていうと


1 私らしく=個性を発揮することではない。

2 私らしく=新しい私に気づくことではない。

3 個性を発揮すること=がんばってすることではない。



大きく違ってたのはこの3つでしょうか。


スウェーデンでは老若男女全ての人において

「個の尊厳」

という考えが根付いています。


これは、養老孟司さんの本(急に出してすみません、私好きなんです)の言葉を借りるなら、

「生まれたときから人は個性が存在している」


ということです。


だから、赤ちゃんであろうがおばあちゃんであろうが

障害者であろうが何に劣っているでも優れているでもなく

自分が意識するしないに関わらず特性があって、

それぞれにできることが必ずあるという認識です。


個性=その人が持っている能力ではなく、

その人がもっている特長そのものというわけです。


だから、自分の新しい側面に気づくのではなく、

もともとあった、または自分で忘れている個性を

磨きましょうという意味だった。


そして、どうしても充実している人や個性を発揮している人って

キラキラしているから、そこに向かうまでに

これまた努力をしないといけないと思っていた。

「今も十分がんばってるしそんな余裕ないわ!!」

と思ってたけど、自分のもってるものを

せっせと磨いているのでは

ないのでそこだけ考えが違ってた。



これらに気付いたとき

「なーんだ、良かった」と思いました。



なぜかというと別に今の自分と変わるなんて必要はないと思ったから。

(養老孟司さん的にいうと、昨日と今日の自分は違う生き物だといいますが)



自分がたった今、好きなところをそのまんま好きだと思う視点をもてばいい。

で、ちょっとずつそれを窓拭きみたいに磨けばいい。

そうすれば十分自分を大切にしてるし

毎日の中で小さなことができた自分を認めればいい。



それが私の「私らしさ」なんだと思いました。


これに気付いたときは

物事で目に見えてる悩みの

根本原因は意識するのは目の前ではなく

自分の中にあるということも

だいぶ腑に落ちていました。



変わらなきゃ~とか、

やらなきゃいけないことへの焦りとか

毎日色々ありますが

激変じゃなくひとつひとつ

積んでいければそれがすでに

わたしらしいんだと思う

今日この頃です。


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数年後にまた解釈変わるのかな~


LINNA
miki ishibashi